4月25日(月)のち晴れ


今日も朝から雨。少し寒い。今日はイタリア開放記念日で祝日だ。夕方から雨が上がったので家の周りを散歩した。どこもお店は休みだが、何件かのピザ屋とジェラート屋が開いていた。本当にピザ屋は多いなぁ。

土曜日、以前住んでいたusumateという町を訪れた。イタリアのパパとマンマに会うためだ。地下鉄line1の終点sestoから電車で約15分乗ったところにある。イタリアに戻ったらすぐに二人に会いに行こうと決めていた。駅の目の前にある八百屋さん。私の大好きなパパとマンマ

元気かしら・・・。

ガラスの向こうにマンマの姿が見える。何も変わっていない。

「マンマ!!!」

「アキーコ!!!」

ドアを開けるなり、私はマンマに飛びついた。マンマはしっかり私を抱きしめてくれた。

私を覚えていますか?とかお久しぶりですね。というイタリア語を一生懸命紙に書いて覚えたはずなのにそんなことはすっかり頭から飛んでいってしまっていた。


一年前、イタリアでの生活が始まって間もないころ、学校から早く帰った私はスーパーだけでなく八百屋にも行ってみようと勇気をふりしぼってこの店を訪れた。

buongiorno・・・」

おそるおそる店のドアを開け、中に入る。覚えたての単語と指指しで何とかトマトを買い店を出た。

「シニョリーナ、シニョリーナ・・・」

振り返ると、八百屋のお父さんだった。お父さんはにっこり笑うとトマトの入った紙袋にオレンジをひとつ入れてくれた。

grazie

とてもうれしくて言いたいことはたくさんあるのに、私には「ありがとう」と言うのが精一杯。家に帰ってすぐルームシェアしていたイタリア人の女の子にイタリア語でお礼の言葉を書いてもらった。次の日、一晩中かかって覚えたお礼の言葉を言う為八百屋を訪れた。

その日から学校が早く終わった日には必ず八百屋へ行った。日本語はもちろん、英語もまったくわからないマンマとパパと会話をするときはほかのお客さんも巻き込んで私が普段持ち歩いている辞書を使った。どれだけ買ってもいつも1ユーロでいいと言い、買った倍以上の野菜や果物を袋にいれてくれた。次にイギリスへ行くのは決まっていたがなかなか言い出せず、ミラノを発つ2日前、辞書を見ながら書いた文法めちゃくちゃの手紙とわずかばかりのプレゼントを持って行った。

「明日、必ず来なさい。」

マンマにそう言われミラノ出発の前日、私はマンマとパパに会いに行った。

二人は私に小さな箱を差し出した。中を開けると・・・そこにはシルバーのネックレスが入っていた。思わず涙ぐむ私に

「泣いたらダメ。」とママはネックレスをつけてくれた。

「こいつはアキコのマンマだけど俺はパパじゃない。アキコの恋人だよ。」とパパは笑って言った。

店の中、店の前、マンマとパパに抱きかかえられ、マンマとパパに抱きつき、抱きしめられ、パパのバイクの後ろに乗り・・・何枚も何枚も写真を撮った。

「一年後、必ず帰ってくるから・・・」

ネックレスと写真は私の大切な宝物だ。

cinque pomodori e ・・・」

と初めて八百屋を訪れたときと同じく指を指しながらトマトを注文する私を見ながらマンマは笑っている。私はずっとマンマに抱きついていた。残念なことにパパは出かけていて留守だったがマンマが電話をかけてくれ少しだけ話すことができた。来週また来ることを約束し私は店を出た。


    八百屋2        八百屋

                                 

目をつむるとマンマのぬくもりを感じることができる。マンマのにおいがする。あったかい・・・。

来週は何曜日に会いに行こう。早速明日行こうかしら・・・。

さっき買ったチョコレート味のジェラートを舐めながら私は家に帰った。


<今日覚えたイタリア語>

 Si ricorda di me? (私のことを覚えていますか?)

 Da quanto tempo.(お久しぶりですね。)